こんにちは。あさです。
先日初めて投稿させていただき、なんだかワクワクする自分がいました。気楽に少しずつ、書いていけたらなと思います。
さて、今回は私の自己紹介をさせてもらいます。
前回、少し話しましたが私は現在小学校の教員をしています。パートナーと子どももいて、最近家族が増えました。今は子育てに奮闘中です。
そんな私の、「熱中時代」
なんていうほどのものでもないですが、いまの自分を形作った大切な学生時代を中心にお話しさせてください。
目次
- 1.怖いもの知らずだった小学生
- 2.悩んだ中学生時代
- 3.謳歌した高校時代
- 4.教職を目指し、大学へ
- 5.採用、学校現場へ
- 6.終わりに
1.怖いもの知らずだった小学生
私は小学生、特に高学年の時は、なんでもできると本気で思ってました。当時書いた作文にも、プロ野球選手になりたいとか、通算5000本安打とか、パイロットになりたいとか、平気で回りに話せるほどには自分に自信を持っていました。
でも、はじめからそうだったわけではなくて、幼少のころは友達と外で遊ぶよりも家でゲーム(ゲームボーイ世代)をするほうが好きな、インドア派の少年でした。
そんな僕を外へ連れ出してくれたのは、近所に住む同級生でした。学校にある野球チームの人数が、僕らの学年だけ少なくて、「あさも野球一緒にやろう」と誘ってくれたのです。きっとその子は何気なしに声をかけたんだと思いますが、これが僕にとっては大きな人生の起点になったと今は思います。
始めてみたら本当に楽しくて、話せる友達も増え、どんどん野球にのめりこんでいきました。今ではあまりないと思いますが、当時は少年野球チームも7時くらいまで練習をしていて、家に帰ったら飯食ってすぐ寝る、みたいな生活でした。
高学年になると試合にも少しずつ出れるようになり、自分に自信が出てきたのもこのあたりだと思います。6年の時は児童会活動にも挑戦して、本当に充実していました。
2.悩んだ中学生時代
正直、苦しいことのほうが多い時期でした。転校したこともあり、友達関係がリセットされたので、はじめのころは周りに気を遣って、苦労していたなあと感じています。よくうなされていたと両親も話していました。それだけ、ストレスを感じながらの生活だったと思います。
ただ、そんな中でも野球は続けたいと思い、野球部に入部して一生懸命練習に打ち込みました。ガラの悪い先輩もいて、かなりしんどい経験もありましたが、できるだけ関わらないようにしたり、同級生と一緒に行動したりして1年生の頃は何とか頑張っていました。
しかし、事件は起こります。当時同級生で投手をしていた二人が立て続けに、外部のチームへ異動してしまったのです。
理由は、「このチームでは勝ち進めないから」
直接本人から聞けたわけではないので、本当にそう思っていたのかはわかりませんが、少なくとも部に残った当時の僕らの認識はそうでした。
本当に複雑でした。その友達とはクラスで普通に一緒に過ごすし、話もよくします。でも、部に残って一緒に上を目指してくれなかった。どうして?残された僕らは?いろいろなことをこの時期、たくさん悩んでいたと思います。
でも、そんなつらい中学生時代も苦しいことばかりではなく、人生で初めてお付き合いさせていただいた子もいたり、高校まで一緒に野球を続けた友人もいます。部活では主軸二人が辞めたこともあって、様々なポジションでプレーできたことも、貴重な経験になりました。今思い返せば、必要な時期だったと胸を張れます。
3.謳歌した高校時代
地元の高校へ進学し、そこでも部活三昧の日々でした。ただ、中学時代とは打って変わり、本当に毎日楽しく過ごせていたと思います。思春期が落ち着いてきたのもあるのでしょうが、高校時代は本当に、馬鹿な事をたくさんして、笑って過ごせていたと思います。
そして、あこがれだった高校野球がついにはじまり、朝から晩まで野球のことを考えていました。中学時代同様、怖い先輩もいたし、監督やコーチも厳しくて、かなり絞られましたが、たくさんのかけがえのない仲間に支えられて、3年間成長することができました。
レギュラーこそつかめませんでしたが、ベンチワークや走塁コーチ、記録員など、みんなのためにできることってたくさんあるんだと気づかされ、当時は必死でいろんなことをしました。良い思い出です。
4.教職を目指し、大学へ
高校時代は野球漬けでまともに勉強していなかったので、現役では第一志望に受からず、1年間親に頭を下げて浪人しました。
生きてて、なかなかないつらい経験でした。朝から晩までしていた野球が机の上での試験勉強に代わり、支えてくれていた仲間もほとんどいない中での、孤独な戦いでした。しんどかったです。でも、この時味わった経験は今でも生きていて、働いていてしんどい時の自分の指針になっています。「あの頃に比べれば」たいていのことは乗り越えられると思える、人生においても大切な時間を過ごしました。
1年の浪人を経て、大学に入学すると、高校生の頃から何となく目指し始めていた教職に就くため、教員免許取得のための単位を次々に受けていきました。在籍していた学部、コースの方針で、学校や施設への実習も盛りだくさんで、この頃から「本気で学校の先生目指そうかな」と思えるようになりました。
自分のなりたい職業にかかわる講義なので、基本的には毎回興味を持って、楽しく学ぶことができたと思います。1番好きだったのは、「教育技術」という単位でした。板書や教具、発問、机間指導、生徒指導など、幅広く先生に必要な技を具体的に学べました。
でも、なんといっても大学時代は人生の夏休み!本当にいろんなことをしました。(しでかしました笑)学部棟の目の前で流しそうめんをやってみんなに配っているところを叱られたこともあります。他にも塾講師、飲食店、農家の手伝い、交通量調査、学校の宿泊学習引率、ブライダルなど、多種多様なバイトも経験して、ありきたりですが
「世の中こんなに仕事あるんだな」
と感じました。
5.採用、学校現場へ
やがて、遊んでばかりもいられなくなった頃から、教員採用試験の勉強を始め、これまたたくさんの優秀な仲間たちに支えられ、現役で合格することができました。機会のある時にお話ししますが、僕は本当に周りに恵まれていると思います。
6.終わりに
実は今、巡りめぐってバイトをしていたころと同じ考えが頭によく浮かぶようになっています。
「世の中こんなに仕事あるんだな」
教師を目指していたころは、あまり深く考えたこともなかったですが、教職で5年以上が経過し、それなりに現場の様子が見えてきたときに、ふと「一生、この仕事やるのかな」と感じることがありました。それは全くマイナス思考ではなくて、ただなんとなくそう感じただけなのですが、結果として、自分で何か始めてみたい、違うことをしてみたいという思いが今この長々とした文章を生み出しているのかもしれません。
今回は僕の「熱中時代」について書かせていただきました。書いてみると、意外と書けることが多くて、止まりませんでした笑 書いてない経験談ももっとたくさんありますが、それはまたの機会に。
読んでくれてありがとうございました。誰かのためになるような文章ではないかもしれないけれど、何か一つでも共感できる「熱中時代」があれば幸いです。