子ども

平成っ子の特徴

 こんにちは、あさです。週末は息子の友達が家に泊まりで来て、その対応にバタバタしていました。

でも、おかげさまで楽しんでもらえたようで、私自身とても充実した時間を過ごすことができました。

そんな中で、息子とその友達を見ていて、改めて感じるというか、働いていてもすごく頻繁に感じていたことを言葉にしてみます。

みなさんは最近の子ども、どう感じていますか?

わたしはずばり、平成っ子に感じるのは

多様化

です。なぜそう思うのか、お話ししますね。

1.平成という時代

 平成と一口に言っても30年くらいあるので、今日は主に平成後半に生まれた子どもたちを「平成っ子」としてとらえようと思います。

ちなみに私も平成生まれ。おおよその年がばれちゃいますね笑

平成生まれが平成っ子を語るのかよって思われるでしょうが、やはり平成の前半と後半だけでもかなりの違いがあるように思うんですよね。

なぜかというと、一番わかりやすいのが私あさの兄妹(あさ含め3人)。平成前半生まれのあさと、後半生まれの弟では、どうも価値観が大きく異なっているようなんです。

そのあたりも含めてお話しできればと思うのですが、そもそも平成という時代。

1989年に元号が変わっているので、ぎり80年代生まれもいらっしゃるんですよね。

バブル崩壊直後ですかね。この頃はまだカセットテープが主流の時代。この頃に生まれた方の小さな時のお遊戯会の撮影は、でっかいビデオカメラをお父さんたちが三脚で立てたりして撮っていたのではないでしょうか。

あさ

思い出のアルバムにある写真も右下に日付がまだある世代ですよね。

社会情勢も様々に移ろってきました。地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、郵政民営化、自民党から民主党(当時)への政権交代。そして、東日本大震災。

一つの時代の中に、教科書に載るような記録的地震災害が二つ起こってるんですよね。(熊本や新潟でもそれに匹敵する規模の地震が起こっています)

こうしてすこし文章におこすだけでもかなり激動の時代。

他にもスポーツ、情報、多々視点はありますが、きりがないのでここでは割愛。

さて、こうした時代に生まれた子どもたちは、昭和生まれとどんな違いがあるのでしょうか。

2.スマホネイティブ

 先に断っておきますが、あくまでも個人的見解です。ただ、学校教員をしていると職業柄多くの人間と関わりを持ちます。

特に子どもについては普段からその人格の形成に関わらせてもらっているので、彼らの考えていることや大切にしている価値観には多々ふれる機会があります。

そうして普段から平成っ子たちと関わっていると、

あさ

平成初期に生まれた自分とは違う世界観で生きているんだな

と、常々思い知らされます。

まず一つに「スマホ」の存在。僕らは携帯電話の普及しだしたころからかかわりがありますが、今の小学生のほとんどはスマホネイティブ(私の造語)です。

つまり、生まれたときからスマホがある時代。小さなころから親がスマホを使う姿を見て育ち、自然とふれる機会も多くなります。

あさ

情報へのアクセスになれているなあ

と感じます。基本的な文字入力もフリック操作でスイスイです。

ただ、リテラシーが高いかといえば、そうでもないのがこの平成っ子の一つ大きな特徴だと思います。

なぜなら、スマホをもたせる、使わせる親の側がネイティブではないからです。ここ20年の携帯電話、スマートフォンの爆発的な普及、そして進化に、我々大人がついていけていないのです。

もちろん、自分が操作する分には得意な人、日常的に使う人は問題ないでしょう。しかし、子どもにそれを教えることができるでしょうか?

単純な操作だけでなく、アプリの特徴、それがどのような仕組みで、どのような危険が隠れているか、事前に指導してからスマホをもたせることができている保護者はどのくらいいるでしょうか。十分なフィルタリングをかけた状態でもたせているでしょうか。

残念ながら、まだあまり多くはないのが現状だと思います。つまり今の学生世代の子たちは、親に十分なリテラシー教育を施されないままスマホだけ持たされているということになります。

ゲームや面白い動画を検索したり、遊ぶことは上手にできます。ただ、それを長時間続けると体に悪影響を及ぼしたり、課金するとどのようにお金が請求されるのかといったことがいまいち理解できていないと思うんです。

SNSもしかりです。特にここ数年はコロナの影響でコミュニケーション能力を発達させる大事な時期の子どもたちが、それを十分に学校教育で指導できないまま高学年まで上がってきています。

対面での会話、対話、状況に応じた行動、そういった基礎的な力。友達とうまく付き合う力のようなものがなかなか育つのに時間がかかるように思います。

端的に言うなら、「年齢より少し幼い」感じです。

話している言葉だけは様々な情報にふれているために一人前なのですが、肝心の行動が伴わない。心と体が一致していない。

こんな風に話すとみんなそうなのかと思われますが、あくまで全体的な「感じ」です。

必ず全員に当てはまるわけではないけども、

あさ

そういう子が増えたね~

と、職員室で話す機会が増えたので、あながち私の主観だけでもないと思います。

3.安全第一主義

 平成になってわかりやすく変わったのが、この「安全」に関する子どもへの対応です。当時の写真を見ると驚くのですが、昭和に比べ、公園や学校の遊具が様変わりしています。

高さのある遊具は危ないから撤去。

手すり。

ブランコで転ぶと危ないから下にマット。

広場も芝生orゴム床。

などなど。数えたらきりがないほど子どもたちの遊び場には様々な安全のための工夫が施されています。

今回はその是非について話すと長くなるので省きますが、そういった配慮が増えていく中で、あることもほとんど並行で増えているように思います。

それは、保健室への来室者。

もちろん来室の内容は様々ありますが、非常に増えているのが転んだ、打った、という理由です。

普段、生活の場が細かく配慮されてきたがゆえに、運動場で転んで膝をすりむくとすぐ保健室。教室でお掃除してホコリが舞うとすぐに保健室。

保健室。保健室。保健室。笑

他にも、全国的に給食の残量が増えていたり、欠席率も高くなってきています。(もちろん欠席については社会的にかなり寛容になってきている部分もあると思います)

これ、私が愚痴っているのではなくて、3校働いて3校とも同じ状況だったんです。子どもへの安全への配慮について、色々議論はありますが、けがしやすい、アレルギー反応が出やすいのも平成っ子の特徴といっていいかもしれません。

4.インクルーシブな世の中

 最後に、平成っ子の特徴として、様々な価値観の受け入れ方があります。明らかに昭和よりも寛容になっていると思います。

障害のある子、発達に課題のある子などを、「変な奴」としてひとくくりにしていじめたりすることがだいぶ減ったように感じます。もちろんいじめがゼロになったわけではないですが、時代の流れもあり、様々な価値観が受け入れられるようになってきています。

私が小学生くらいの時は、まだまだ特別支援学級の同級生に対する風当たりはかなり強かったように覚えていますが、最近はかなり寛容的です。個性としての受け止め方がかなり広く認知されたのだと思いますし、学校教育での先人たちの指導のたまものでもあるでしょう。

引っ張られるようにして、学校現場も少しずつ、重い腰を上げ始めているところが増えてますね。校則や成績基準の見直しが代表的だと思います。

5.まとめ

 平成っ子の特徴をここまで書かせてもらいましたが、いかがでしたか。絶対とは言いませんし、私の経験した範囲でしか言えないのですが、当てはまるものもいくつかあったのではないでしょうか。

私が今回この記事を書いたのは、時代の大きな波となっているこの「多様化」について意識するようになったからです。

昭和が良かった、平成のほうが良い、といったことが言いたいのではなくて、時代の変化について伝えたいという思いがあります。

ここまで書いた内容で平成っ子たちが急に違う人種のように現れたわけではないことがわかると思います。大切なのは環境、時代の変化。

私は今でも子どもというものの本質は変わらないと思っているし、不易だと考えています。我々大人が時代の変化にのまれず、子どもたちの可能性を広げるサポートができるかどうかが大事です。

多様化する社会、多様化する子どもに向き合える、真摯な大人でありたいなと。

そのうち令和っ子が新しい価値観をもたらす時代も来るんでしょうね笑

楽しみですね。ではまた。