こんにちは、あさです。今日はコインランドリーに行こうと次男と外へ出ると、車のカギがないことに気づき(たぶん嫁さんのポシェットの中)、アパートの3階から降りてきたあさは立ち往生してしまいました。
父に次男を預けてからランドリーに向かう予定だったので、そのまま父に連絡し、迎えに来てもらいました。笑
ほんと、いくつになってもてんやわんやの息子で、父も大変でしょうね。笑
今日は最近よく聞くようになった言葉について思うことを書きます。
1.カス
カスハラってなんのハラスメントだろう?から始まり、スマホで調べると
「カスタマーハラスメント」の略なんですね。今回初めて知りました。
それにしても「カス」って。結構インパクトある言葉ですよね。何でもかんでも略そうとする世の中には少しうーんとなってしまいますね。同じ気持ちの方いますか?笑
字の通り「カスタマー」によるハラスメントの総称なので、行き過ぎたクレームや、店員さんを人格否定するような暴言を吐いてしまう状況などのことを言うのだそう。
今年、東京都が全国初となる「カスタマーハラスメント防止条例」の制定を目指す会議を開いたようです。
厚生労働省も動いているようで、近年かなり社会問題化しているようですね。
2.増えた...?
大学の3年次の時に、飲食店でホールの仕事をしたことがあります。その当時も今思えばカスハラにあたるようなお客さんの発言はちょいちょいあったことを覚えています。
例えば。
客「ねえ、このチューハイにさ、ライム乗せてほしいんだけどある?」
あさ「申し訳ございません。当店ではそういったライムなどのトッピングは提供しておりません。」
客「じゃあライムだけちょうだい。自分でやるから」
あさ「ライム自体も取り扱っておりません。すみません」
客「なんだよもお。そんなんだから○○○○(店名)はだめなんだよ。つぶれるよそんな対応してちゃあ。」
あさ「申し訳ございません。」
客「もういいよ。兄さんじゃ話にならん。そんな対応で金なんか払えないよ、帰るね。」
あさ「いえ、お客様、それでは困ります。店長にお話しつなぎますので、チューハイのご注文は取り消させていただきますが、定食の分のお代はいただきます。」
客「はあ?どの面下げてetc…」
こんなことがたまーにありました。とんでもないお客さんですよね。
当時の自分はただただ腹が立って仕方がありませんでしたが、対応後店長に
「こういう時はとりあえず謝っておきなさい」
と声をかけられ、ドン引きした記憶があります。
「とりあえず」ってなんでしょう。この事例の中であさは何かお客さんに対して無礼を働いたでしょうか。店として問題があったでしょうか。
なにより、店員としての私を守る気がないんだなと感じてしまい、一月後にそのバイトは辞めました。(まあほかにも学業面での理由はあったのですが)
その後社会人になり、普通に客として飲食店に行く機会も増えました。すると、周りでも結構カスハラのようなことって起こってるんですよね。自分の前にレジで会計をしている人が店員に暴言を吐いていたり、隣に座っていた人が注文時に無理難題を言ってたり。
こういうのって、肌感覚的に増えてるのかもしれないなあと感じてしまいます。もちろん、いまいちな対応だった店員に対して神対応のできる方も少なからず見かけますが、いわゆるクレーマーのような人がニュースを見ていてもかなり増えたように思います。
3.時代
やっぱりこういうのって、時代を反映していると思うんですよね。集団よりも個が尊重され、言いたいことを発言できる世の中になり、文明の発達によって個人の意見はいつでも、どこでも発信できるようになりました。
そういう時代になると、便利さや豊かさの裏で副作用的にいじめの複雑化や誹謗中傷のエスカレートを生んでいると感じます。
携帯電話のなかった時代には一個人の意見なんてせいぜい大きな声で叫んでも半径50メートル程度。パソコンでネットをつなごうにも何十万と費用がかかりました。新聞広告に載せるにもいちいち新聞社に文書を送り、採用されるかどうかもわかりません。
すべては時代の流れが生んでいるものとも言えます。
4.ただ、大事なこと
ただ、時代だけのせいにするのもどうかと私は思います。なぜなら、当事者はいつだって我々「人間」なのですから。
クレームをつけるのも、暴言を吐くのも、それらをきいて平謝りするのもすべて人間のしていることです。そこに関しては時代に左右されません。
言い換えれば、問題は私たち一人ひとりの中にあるとも言えます。
嫌な思いをするのも、それに腹が立つのも、すべて人としての心の動きです。だから、普遍的な価値といいますか、大切にすべきことを本当に大切にすることができれば、時代に左右されない豊かさが見えてくると思うんです。
小学生の時に習ったような、
親切
公平、公正
誠実
生命尊重
いつの時代もこう言った価値観は変わらないと思います。今回出てきたカスハラも、目の前の人を大切にできていないがゆえに起こることです。
学校の先生をしている身としては、こうしたニュースは見ていて悲しくなります。みんないつかは勉強しているはずのことですからね。
周りの人を大切にできる価値観を一人ひとりがもって生きていける社会になるといいですね。学校教育にとっても課題だと思いました。
ちょっと固くなりましたが、大切な話題だなあと思います。息子たちにも機会を見て話したいですね。ではまた。