社会のいろいろ

じいちゃんばあちゃんの定義

 こんにちは、あさです。長男がまたまた風邪をこじらせまして、かれこれ三日ほど学校を休ませています。

学校現場に身を置く(今は自宅ですが)立場としては、三日休んだ児童への学習面のフォローの難しさや労力も知っているので、申し訳ないなあと思いつつも、咳の止まらない我が子を登校させてお友達に風邪をうつしても大変だと考え、家で過ごさせています。

さて、今日の話題ですが、みなさん、いわゆる「おじいさん」「おばあさん」について、どのように定義していますか?

定義なんてご大層なこと考えたこともない人がほとんどでしょうが、例えばなんとなくでもいいのでいくつくらいから「おじいさん」「おばあさん」と呼びますか?

あさはなんとなーく、70歳くらいからそのような呼び方をしても失礼にならないかなあと。まあ状況によりますけどね笑。初対面の人に「じいさん」呼ばわりはできませんからね。

今日はそんな「高齢者」も含めた、すべての世代の方に関わる話題です。

1.高齢者の定義「5歳引き上げ」を

 こんなネットニュースが目に入ったんですね。どういうことかというと、昨日、政府が首相を議長とした経済財政諮問会議というのを開いて、最近よく聞くようになった

ウェルビーイング

の実現に向けた方策について議論したらしいんですね。

まず、ウェルビーイングってなんだっけ。という方のために少しだけ補足すると、「身も心も満たされた状態」という意味なんです。

ウェルビーイングを細かく説明しだすと5要素だったり目的、手段との区別だったり複雑になりますので、簡潔に言うと

単に個人の身体の健康だけでなく、心理的にも、社会的にも自己実現が図られている状態や、そのような社会を目指したいよね。っていうことです。

少子高齢化が加速する日本において、その文脈からとらえるウェルビーイングは、

将来的に世代ごとの人口比が激変し、社会そのものも大きく変わっていく中で、みんなが身も心も健康に、豊かに生きていける国にしたい。

政府はそのように考えているわけです。(本音と建前はもちろんあるかと思いますが)

そのための議論の中で、高齢者のとらえ方を変えていくべきだという意見が出たそうです。

ちなみに、現在の「高齢者」の定義は世界基準(WHO)だと65歳以上。日本では65~75歳が前期高齢者、それ以上が後期高齢者と定めています。

これを「5歳引き上げよう」という議論ですから、かなり踏み込んだ内容と言えるかもしれませんね。

なぜなら、もし5歳引き上げた場合、様々な国内の法律等における高齢者の基準が引き上げられる可能性があるからです。年金受給開始年齢や、地方における敬老パスなどのサービス、会社での定年、再雇用制度といった、あらゆる面での影響が考えられます。

そのように考えると、私たちにも無関係ではないように感じますね。

2.雑感

 私が真っ先に考えたのは、今の学生世代への影響です。

現時点でこれだけの議論が出るわけですから、子どもたちが世に出るころには今ある様々な定義なんてものはあてにならないなと。

仮に今小学6年生の子たちが社会に出て活躍し始めるのが20代~からだとして、2030年、2040年頃になりますよね。

みなさんはおいくつになられているでしょうか。おそらく公私ともに変化しているのではないでしょうか。

円安は進むでしょうか。就職環境はどうなっているでしょうか。時給は上がるでしょうか。

誰にも答えはわかりません。ですが、おそらく

変化している

ことは確実ですよね。大なり小なり子どもたちの生きていく社会は今とは違う社会です。そのような不確実な未来に向けて、子どもたちを送り出していく大人としての私たちにできることはなんでしょう。

ウェルビーイングなんてきれいな言葉にまとめていますが、日本においては支えるべき高齢者の数が増え、生産年齢人口が減少していく中で何とかしようという話です。

決して楽観できる状況ではないんですよね。いずれ必ずやってくるそのような厳しい国としての状況に危機感をもって対応しているのが今回の諮問会議だと思います。

3.できること

 諮問会議でも出ていたようですが、私たち一人ひとりにできることは「学び続けること」だと思います。会議ではリスキリング(学びなおし)という表現で話されていたようです。

こうした変化し続ける社会にあって、私たちが変わっていかなければ、どんどん置いて行かれてしまいます。

もちろん変わらない大切な価値もあるとは思いますが、令和の時代に袴をはいて刀を振り回す人がいないように、私たちは明治維新のような革命的な時代の転換点の中でもっているものをブラッシュアップしていく必要があると感じます。

そして同時に、大人が学び続ける姿を見て、子どもが育っていくと信じています。

未来につないでいける、持続可能なバトンパスを、次世代を担う子どもたちとしていけるといいですね。ではまた。